夫婦間での夫の妻に対する(妻の夫に対する)拘束や束縛の心理と限界|大人の恋愛の恋愛相談
ここは、Real学部 E教室
夫婦間(不倫されている人を含む)の大人の恋愛の場面における男性の悩みと恋愛相談の実例を、教えてgooの恋愛相談ページへのリンクにてご紹介致します。なお、この恋愛相談ページにおける回答者ID「kmlf3」の回答内容は、当校スタッフの向坂が回答したものになります。
リンク先の大人の恋愛相談の事例は、「旦那とのデートよりも宗教活動等の行事を優先する嫁との夫婦生活に疲れた。旦那との時間を第一にして夫婦2人でいる時間を長く持てるように、嫁に変わって欲しい。」という、夫婦間での大人の恋愛の場面において、妻からの恋愛感情や夫婦愛に不足を感じつつ、妻の宗教活動に嫉妬し、寂しい、もっと妻にかまってほしいと思っている夫の悩みです。
相談者である夫は、「受容し受け入れる事もなければ結婚生活で上手く行くのも上手く行かないと思う」という相談文面のフレーズから、「嫁にかまってほしいけれども、過度に嫁に干渉して嫁からうるさい&うざい旦那と思われたくない」という自制の気持ちが表れているように感じられます。
確かに、旦那の立場としては、嫁から「うざい、うるさい、うっとうしい、面倒くさい、かまってちゃんな旦那」と思われてしまうのは、避けたいものですね。
この事例は、宗教活動を背景とする点で、大人の恋愛の場面においてあまり汎用的なものではないと思いますので、事例に関する言及はせず、事例を読んで私たちが感じた「夫婦間での夫の妻に対する(妻の夫に対する)拘束や束縛の心理と限界」ということに関し、「夫の妻に対する(妻の夫に対する)拘束や束縛はどこまで許されるのか?夫や妻を拘束や束縛をしないようにするためには、どのような内心での心構えが必要なのか?」という観点から、以下にコメントをしていきたいと思います。
「夫婦」は共同生活のパートナー。この点で「恋人」とは異なる
「夫婦」の定義は、人それぞれです。
「おしどりのように、いつも一緒にいるものである」という方もいれば、「お互いに自立し、困った時に助け合うものである」という方もいます。
ただ、どのようなロマンチックでカッコいい表現を用いたとしても、「共同生活を円滑に成り立たせる関係である」という要素は「夫婦」の定義に必須になるものと考えます。
つまり、「夫婦」は共同生活のパートナーであり、この点で「結婚していない恋人」とは異なります。
よって、円滑な共同生活が成り立たなくなった関係は、もはや夫婦とは言えません。
皆さんは、この「円滑な共同生活が成り立たなくなった」って、どんな状態だと想像しますか?
●旦那の稼ぎがゼロになった
●嫁がかまってくれなくなった
これらの状態では、未だ「円滑な共同生活が成り立たなくなった関係」とは言えません。嫁が稼ぐこと、旦那が嫁がかまってくれることに頼らずに精神的に自立して生き抜くことにより、円滑な共同生活を成り立たせる可能性があるからです。
もし、この状態でも「円滑な共同生活が成り立たなくなった」と配偶者に対して騒ぎ立てるようでは、・・・共同生活を担う当事者としての覚悟ができていない心理の表れですので、結婚する適格は無い(恋人に止まることが相応しい)と言わざるを得ません。
では、次のような状態は、どうでしょうか?
●旦那が、稼ぎがゼロになったのにもかかわらず、嫁の貴金属を勝手に質に入れて豪遊している
●嫁が、旦那に、人格を破壊するような暴言を吐くようになった
これらの状態になってはじめて、「円滑な共同生活が成り立たなくなった」と言えます。なぜなら、一方が他方の心や体、時間、財産の権利を侵害して共同生活を破壊しているからです。
夫婦間の拘束や束縛の心理と限界は、その拘束や束縛が無ければ共同生活が破壊されてしまう場合に限り、認められるもの
このような共同生活を破壊するような権利侵害は、夫婦関係においては、共同生活下では良くも悪くもわがままや慣れ合い等があるために、どうしても生じやすくなります。また、このような権利侵害は、違法行為なのですが、日本では「法は家庭に入らず」という原則があるため、一度生じたら止めることが難しいものです。
このため、夫婦関係においては、「円滑な共同生活を破壊するような権利侵害が家庭内で起きないように、お互いの行為を拘束し束縛しよう」という事前抑制の心理が働きやすくなります。例えば、「出かけるな」、「金を使うな」、「口答えするな」、「異性と関わりを持つな」等のように。
しかし、これらのどの行為も、それだけでは円滑な共同生活を破壊するものではありません。むしろ、夫婦の一方が「円滑な共同生活」の名の下に配偶者を自分の思い通りに奴隷のようにコントロールしようとする、器が小さく心に余裕のないオレ様的orお姫様的な意図や心理が伺えます。
いくら円滑な共同生活の破壊の事前抑制のためであっても、夫と妻は別の人格である以上、夫婦間において、相手の心に基づく自由な思想・表現や相手の体、時間、財産に基づく自由な行動を拘束・束縛してもよい訳ではありません。むしろ、配偶者に対する行き過ぎた拘束や束縛は人権侵害となってしまいます。
夫婦の使命は、既述したように、円滑な共同生活を成り立たせることです。よって、夫の妻に対する拘束や束縛、妻の夫に対する拘束や束縛は、その拘束や束縛が無ければ共同生活が破壊されてしまう場合に限り、認められるべきものなのです。これが、夫婦間での夫の妻に対する(妻の夫に対する)拘束や束縛の限界と言うことができます。
中には、「嫁は、給与等の財産を渡すことと引き換えに、自分の言うことに何でも従うことに合意している」という状況から夫の妻に対する拘束を正当化したり、「旦那は、私と結婚してセックスさせてあげることと引き換えに、自分の言うことに何でも従うことに合意している。」という状況から妻の夫に対する拘束を正当化したりする方もいるかもしれませんが・・・
そもそも、結婚は、愛人契約や奴隷契約のような「財産と引き換えに配偶者の意思決定の自由を奪い配偶者を拘束することを認める不法な契約」ではないのです。
妻や夫に対する拘束や束縛なしで、円滑で思い通りの共同生活を実現するためには
少々、小難しく書いてしまいましたが・・(^_^;)
要するに、たとえ生涯をともにすると誓った夫婦関係であっても、
妻や夫が自分のことを傷つけるかもしれない・・・
かといって、これを防止するために妻や夫の行動を拘束・束縛することもできない・・・
つまり、「妻や夫を自分の思い通りにすることができない」ということが大前提なのです。
この大前提を心から理解していない限り、ついつい、夫や妻から「うざい、うるさい、うっとうしい、面倒くさい、かまってちゃん」と思われてしまうような行動をしてしまうことになるでしょう。
もし、このような行動をされた夫や妻が、その時には「気にかけてくれていて、愛されていると感じる」と好意的に思ってくれたとしても、・・・このような好意的な解釈は永久に続くものではなく、その後の夫や妻のちょっとした環境の変化によって、いずれは「うざい、うるさい、うっとうしい、面倒くさい、かまってちゃん」と思われてしまうようになってしまうものです。
それでも、夫婦として末永く健康で楽しく暮らしていきたいから、「妻や夫に対して何も拘束・束縛しなくても、妻や夫が自発的に自分のイメージ通りの行動をしてくれたらいいなぁ」と願うことでしょう。
この願いを叶えるために必要なもの、それは、
妻や夫に対する心からの理解、尊敬、感謝、思いやり・・・等の
「妻や夫の心を真摯に大切にする態度や行動」
これ以外には無いのでは・・・と思います。
もちろん、他人の心をお金で買うような人は除いて。
このような「妻や夫の心を真摯に大切にする態度や行動」は、このような態度や行動をしてほしい人(夫or妻)を他方(妻or夫)がholdしている限り、心から表れてきません。
ですので、まずは、このような態度や行動をしてほしい人(夫or妻)をbelieveしてreleaseすることから始めてくださいね。
→【E教室】次の記事:「熟年離婚と夫婦愛‐旦那が不倫し、旦那から離婚を切り出された。でも離婚したくない、もう一度旦那に愛されたい|大人の恋愛の恋愛相談」
←【E教室】前の記事:「夫婦愛と夫の倦怠期-セックスレスの旦那の恋愛感情や愛情を復活させ再び愛されたい|大人の恋愛の恋愛相談」
ここは、Real学部 E教室