二股|大人の恋愛用語事典
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【二股】
(ふたまた)
二股(ふたまた)とは、現在の「1対1での異性との交際関係」を留保しつつ、この交際関係において不足と感じている要素を充足するために、並行して、実在する別の異性との交際関係を進行させることをいう。
なお、二股の実現のための恋活のことを「股活(またかつ)」と言う。詳しくは、大人の恋愛用語事典に掲載した「股活」の用語の定義を参照されたい。
二股の種類
上述の定義における「不足と感じている要素」としては、肉体的要素(ex.外見やスタイルのクオリティ、性交体験)と精神的要素(ex.優しさ、献身性、人格)がある。これらの要素の組み合わせに応じて、二股は、次のような3種類に分かれる。
体の浮気
体の浮気とは、肉体的要素の充足を主目的とする二股を意味する。
体の浮気は、性欲の強い人やセックスの量や質に貪欲な人において本能的・感情的に起きるものである。
今も昔も変わらずによくある現象であり、一般には、女性よりも男性に多くみられる。
ex.独身者が、恋人がいるにも拘わらず、体目的で、セフレを作ったり既婚者と不倫したりする。
ex.既婚者が、体目的で、独身者と都合の良い関係や不倫関係になったり、既婚者とダブル不倫をしたりする。
心の浮気
心の浮気とは、精神的要素の充足を主目的とする二股を意味する。
心の浮気は、交際中の異性の恋愛資質(心や態度、能力、行動)に不満を抱いている人において理知的・理性的に起きるものである。
現代において顕著に増加してきた現象であり、一般には、男性よりも女性に多くみられる。
ex.独身者が恋人以外の実在する異性に対し、又は、既婚者が配偶者以外の異性に対し、精神的に依存したり、恋愛感情を抱く。
ex.独身者が恋人以外の実在する異性に対し、又は、既婚者が配偶者以外の異性に対し、優しさやいたわり、心の刺激等の享受を求めて、プライベートでの関わり(飲み会やドライブ、イベント、サークル、旅行への参加の他、掲示板、SNS、ゲーム等のコミュニティ、メールを含み、二人きりかどうかを問わない)を持つ。
心の浮気に付随した体の浮気
心の浮気に付随した体の浮気とは、精神的要素の充足を主目的としつつも、結局は、肉体的要素をも充足することになる二股を意味する。
この段階まで進展すると、二股をしている本人の心の中では、二股に至った別の異性は、交際関係を留保している現在の異性とほぼ対等の位置づけとなる。
ex.独身者が、恋人以外の実在する異性から優しくされたことをきっかけとして、この異性とキスやエッチをする。
ex. 既婚者が、配偶者以外の異性から優しくされたことをきっかけとして、この異性とキスやエッチをする。
二股の社会的許容性
「次の異性にアプローチをするのであれば、まず先に、現在の異性との交際関係を終了させるべきである」
この恋愛モラルは、昭和の時代から現代まで変わらずに、世代を問わないモラルとして存在しており、将来においても、・・・少なくとも、結婚による恋愛完結者(=「結婚することによって、配偶者以外の異性と更に恋愛を経験することは、残りの人生においてもはや不要となり、自身の恋愛は完結した」と思っている人)の割合が人口の過半数を割るまでの間は・・・誰からも否定されることなく、残り続けていくことが予想される。
こうした「結婚による恋愛完結者」には不必要で無縁のものである現在の大人の恋愛市場において、この恋愛モラルは実際にどのように扱われているのか?
まず、「体の浮気」としての二股は、依然として、恋愛モラル的に許されない行為とされ、度が過ぎるものは人格までをも非難され得る。
一方、「心の浮気」や「心の浮気に付随した体の浮気」としての二股に関しては、実際の大人の恋愛に臨む男女にとって、上述の恋愛モラルは、あくまで建前として機能しているに過ぎず、むしろ、社会的実態にそぐわない理想論や机上の空論として扱われているのが実情である。
「心の浮気」が許容され得る理由
心の浮気は、既述した通り、理知的・理性的に起きるものであり、落ち着いてよく考えれば、いくらでも自制をすることができるものである。
よって、心の浮気は、本能的・感情的に起きる体の浮気と比べて、故意的要素(=「他の異性と同時並行的に交際したらどうなるか?」をわかっていながら、他の異性と交際を始めた)が強く、より罪深いはずである。
しかし、現代の大人の恋愛市場においては、実際に、心の浮気は、体の浮気よりも、許容されやすい傾向にある。
より正確に言えば、「他人が心の浮気をしている場合には他人にダメ出しして非難する一方、自分が心の浮気をするときには止むを得ないとして自分自身を許す」という、他人に厳しく自分に甘い取扱いがなされがちである。
この理由としては、主として、次の3つを考えることができる。
1.心の浮気は「浮気ではない」という抗弁が通りやすい
現代社会においては、性別による差別が否定され、性別を問わない人的交流が社会的に是認されている。
このため、こうした否定や是認を盾として、「恋人や配偶者以外の異性と交流していたとしても、体目的でなくセックスしていないのなら、それは単なる人的交流に過ぎず、浮気とは言えない。二人きりで会っていないのであれば、なおさらである。」という抗弁が通りやすい。
仮に、第三者から「その交流において、その異性に対する依存心や恋愛感情を抱いているのでは?」と疑われたとしても、こうした依存心や恋愛感情はそれを抱いている本人の内心領域に止まるものであるため、本人が「無い」と答えれば、第三者は「心の浮気ではない」と認めざるを得ないのである
2.「心の浮気の必要性を自ら作り出している人(特に女性)」のメジャー化
長引く経済不況や格差が顕在化している現代社会においては、対人関係に“心のゆとり”を持ちにくいため、各人(特に女性)の持つ対人ストレスは、年を追うごとに増加傾向にある。
よって、大人の恋愛の場面においても、交際相手の嫌な内面に直面した際には、どうしても「これ以上自分にストレスを溜めたくない」という気持ちが働きやすくなる。
このため、交際相手の嫌な内面について、「ダメ出しや否定、受け入れ拒否をするだけで、心から理解や容認をしようとせず、最後は一生治らないものとしてあきらめてしまう」という傾向が顕著となり、むしろ、このような人がメジャー(多数派)となっている。このことは、皆さんの身近で、大人の恋愛に臨んでいる女性を10人抽出して検証してみれば、自明であろう。
このような傾向は、別の角度から見れば、「心の浮気の必要性を自ら作り出している人」がメジャー化していることを意味する。即ち、
●恋人や配偶者の持つ嫌な内面をダメ出しや否定、受け入れ拒否することは、「これとは真反対の内面を欲し、この内面に接することによって自分が精神的な心地良さを享受したい」という欲望の表れである。
●また、恋人や配偶者の持つ嫌な内面について心から理解や容認をしようとしないことは、「上述の欲望は、満たされることが必須のものであり、妥協することはできない」という価値観の表れである。
●加えて、恋人や配偶者の持つ嫌な内面について一生治らないものとしてあきらめてしまうことは、「上述の欲望は、あなたでは、満たされることができない」という価値判断の表れである。
これらの3点が揃っている心理状態は、「異性の内面に接することによって得たいと思っている欲望を、恋人や配偶者によって満たされることをあきらめる一方で、あきらめきれずに固持している」という状態を表す。
そして、この「あきらめきれない欲望」を満たしたいと思っただけで、…恋人や配偶者と別れる決断をしない限り、“心の浮気”を引き起こす危険に晒されてしまうのである。
3.「心の浮気の自制によってその後の人生が台無しになる」と考える人(特に女性)の増加
「金の切れ目が縁の切れ目」という格言がある。
しかし、世の中、こうした格言通りに別れる恋人や夫婦ばかりではない。
むしろ、先行きの経済的不安が蔓延している現代社会では、この格言が「金の切れ目でなければ、縁の切れ目ではない。」のように反対解釈され、「生活資金の供給源となる側(主として男性。以下、「資金供給側」という。)から生活資金の提供がなされている限り、資金供給側と別れることができない」ということに悩む恋人や配偶者が増加している。例えば、次のようなケースである。
●資金供給側に対する恋愛感情が失せてしまったけれども、別れた後の自活に対して経済的な不安があるために、別れたくても別れられないケース
●恋人や配偶者が資金供給側に別れや離婚を切り出したものの、資金供給側が「その他の理由(ex.愛情の切れ目)によって縁の切れ目を主張することは不当である。」と主張して、恋人や配偶者からの別れや離婚の宣告を頑なに拒絶し、恋人や配偶者をそのまま独占的管理支配下に置き続けるケース
このように資金供給側が別れに抵抗する理由は、「1人ぼっちになるのは嫌だ。恋人や配偶者が自分から離れて幸せになるのが許せない。」という利己主義によるものである。
しかし、このような利己主義的な考えは、資金供給側が、交際開始時や結婚当初から元来持っていたわけではなく、交際や結婚生活の継続に伴って自身の現役感(特に、内面)が低下し恋人や配偶者の現役感(特に、外見)が維持されるほどに卑屈になって生まれてくるものである。
よって、こうした資金供給側のモンスター化は、交際中や結婚生活中に予測することが難しい。なお、一般的には、「堅職持ちor財産持ちで異性にモテない(=浮気しようと思ってもできない)安全牌」という理由で異性から選ばれた人ほど、別れ話を切り出された際にモンスター化しやすい傾向がある。
現代社会では、こうした資金供給側から提供される生活資金の不可欠性や資金供給側のモンスター化によって、「別れたくても別れられない状況が、この先何年も(下手すると、死ぬまで)続き、この状況のまま時間がどんどん過ぎて老いていってしまう」と懸念しながら日々をやり過ごす恋人や配偶者の数が増加している。
もし、あなたが恋人や配偶者の立場だったら、きっと、この先の自分の人生について究極の絶望感を抱くであろう。これから死ぬまでの間、好きでもない資金供給側に支配され続け、自分の意思に反した人生を送り続けなければならないのであるから。
「心の浮気」は、こうした絶望感を払拭するための微かな光となり易い。
そして、絶望感を払拭しようと躍起になるほど、「心の浮気を自制すれば、その後の人生が台無しになる」、「心の浮気ができないくらいなら、死んだ方がマシ」のように、「心の浮気は自分に関しては正当なものである」という考えに発展してしまうのである。
おわりに
上述した「心の浮気」が許容され得る3つの理由は、ともに、「現在の社会状況を考えれば、客観的に見て、やむを得ない」と第三者に思わせるような尤もらしい理由である。
このような社会の追い風を受けて、心の浮気は、近年の大人の恋愛においては、当たり前のモラル(=交際相手の内面に不満がある場合に、その不満の憂さ晴らしや解消を他の異性に求めるのは、普通のこと)に変わりつつあるのである。
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