7.愛し合うことをあきらめてしまうと、生きるための活力を他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、言葉の暴力)に見出してしまう
ここは、Fantasy学部 教室
■連載記事の目次
1.恋愛において女性にとって不可欠なものは、愛し合うという形ではなく、愛されたい気持ち、愛される実質、愛されている現実
2.女性にとって、思い通りに愛し合えていることは、生きるための活力(精神的支柱、拠り所)となる
3.大人の女性は、恋愛において、愛していた男性のことを愛することができなくなってくると、その不足を「現実逃避」によって補うようになる
4.大人の女性は、恋愛において、思い通りに愛されなくなった場合には、自身のプライドを守るために責任転嫁したくなる
5.大人の女性は、「愛されなくなった男性から再び愛されたい」という秘めた想いを持ち続けていると、受け取る愛の不足を「自己愛」によって補うようになる
6.望みの男性から愛されない状態が続くと、やがて、心の支えは現実逃避と自己愛のみとなる
7.愛し合うことをあきらめてしまうと、生きるための活力を他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、言葉の暴力)に見出してしまう
今回は「愛されることの不可欠性」の第7回目になります。今回の記事では、「愛し合うことをあきらめてしまうと、生きるための活力を他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、言葉の暴力)に見出してしまう」というテーマについて、記述していきたいと思います。
前回の記事では、望む男性から愛されなくなり、現実逃避と自己愛だけを支えにして生きていると、次第に、この先の人生の過ごし方に危機意識や絶望感を感じるようになってしまうという現象について説明すると共に、このときに採る意思や行動は、その後の人生を大きく左右する岐路になるという問題提起を致しました。
この岐路は、ポジティブ街道、ネガティブ街道という互いに正反対の方向に向かう2つの道になります。
ポジティブ街道
ポジティブ街道は、以下の図(G)に示すように、
生きるための活力(精神的支柱、拠り所)を、現状の「現実逃避と自己愛」から、もう一度、「望む男性と思い通りに愛し合えていること」に戻そう
という意思を持った女性が進む道になります。以下、望む男性を「Zさん」と仮定して説明します。
このような意思を持った女性は、その後、愛したい、そして愛されたい男性であるZさんと出会い、まずは、図(G)の上図に示すように、自身の心の中のシーソー板に「愛し愛されている要素」を含めようとします。そして、時間をかけて愛を育くんでいき、最終的には、図(G)の下図に示すように、愛し愛されている要素のみで構成されているシーソーの板を取り戻そうとするのです。
愛したい男性に出会い、その男性からも思い通りに愛されるという事実を手に入れることは、実際には、歳を重ねるほど難しくなるものです。
しかし、「望む男性と愛し合っている状態に戻すんだ」という積極意思が継続する限り、心の中のシーソー板には、図(G)の上図に示すように、この積極意思の部分が「未来のためのスペース領域」として入り込むため、「現実逃避と自己愛」で埋め尽くされた状態ではなくなります。
こうした自身のシーソー上に「未来のためのスペース領域」が出現するだけで、この先の人生の過ごし方に対する危機意識や絶望感を消し去ることができるのです。
ネガティブ街道
ネガティブ街道は、
愛し愛されることをあきらめ、「現実逃避と自己愛」で自分を慰めながら、生きるための活⼒(精神的⽀柱、拠り所)を見出していこう
という意思を持った女性が進む道になります。
「愛される客観的資質を備える女性」にとっては無縁の道
恋愛に対する価値の重さは、人それぞれに様々です。よって、大人の女性の中には、「望む男性と愛し合うことをあきらめたくらいでは、私の人生に何ら問題はなく、ネガティブになんてなり得ない」という気丈な方もいらっしゃるかと想像します。
確かに、財産的利欲が高く、「お金最高!」という価値観をお持ちの女性の方であれば、その通りかもしれません。
一方、このような「お金が全て的な価値観」を持っていない大人の女性の場合には、恋愛に対する価値を低く見積もっている方は、たいてい、次のような「望む男性からの愛に満たされる能力を備え続けている女性」になります。
●現実に望む男性から十分に愛されている女性
●「いつでもその気になったら、望む男性から十分に愛される」という揺るぎない自信と実績(現役感)のある女性
このような望む男性から必ず愛されるという客観的資質を備えている女性の方は、愛されるという要素が不足することがないことから、「愛されている要素の不足を自己愛で補う」ということには無縁となりますので、そもそも、ポジティブ街道とネガティブ街道の岐路の入り口に立つことはありません。よって、この記事の登場人物ではなく、この記事を読む必要性も薄いでしょう。
このような「望む男性から必ず愛されるという客観的資質を永久に備える女性」は希少かと思いますので、それ以外の多くの女性に向けて、
「愛し愛されることをあきらめた後に進む道が、なぜネガティブな道になるのか?」
このことについて、説明していきたいと思います。
「望む男性と愛し合うことに対するあきらめ」がネガティブ街道の入口
大人の女性にとって、現実逃避と自己愛によって他人に幸せであることをアピールする外面生活は、自身に精神的な分離や無理を強いるものであることから、そう長くは続くものではありません。よって、必ずどこかのタイミングで、「本心で触れ合える男性が欲しい」と思う時が出てきます。
この時に、ポジティブ街道のところで説明した「望む男性と愛し合っている状態に戻すんだ」という積極意思を持つのですが・・・、実際には、多くの方が、望む男性に巡り合うまでこの積極意思を持ち続けられず、愛し合う人生の復活をあきらめてしまうのです。
この積極意思を持ち続けられない理由は、女性の建前としては「愛したいと思える男性がいない」というものですが・・・この建前の裏にある本質的な理由は、「男性から、思い通りに愛されない」という屈辱感です。
なぜ、男性から、思い通りに愛されないのか?
この理由は、「現実逃避と自己愛にまみれた女性が、大人の恋愛市場において、一般的に男性にどう映るのか?」ということを、次のように想像してみることで容易に理解することができます。
「貴女は、自分のことばっかりだね・・・」
「そんなに自分が大事なの?」
「貴女は、自己主張や正当化ばかりで、オレに心から合わせようとしてくれる気が全くないね」
もし貴女が男性の立場だったら、このような女性に対し「心を通わせたい、愛したい」とは思いませんよね。
女性としても、男性から愛されないと予感し得る出来事が二度三度続いたら、自分が「もう男性からは愛されないのかも…」と傷つく前に、「愛し合うことは、自分にはもう必要ないんだ」とオチをつけてあきらめてしまいますね。
つまり、「もう愛されないかも…」という内心に基づき、愛し合うことをあきらめてしまったことが、ネガティブ街道の入口なのです。
「心で関わりたい」という飢えの強さが、無意識に相手を攻撃してしまう
ネガティブ街道の入口からネガティブ街道を進んでいく流れを、以下の図(H)に示しました。
望みの男性と愛し合うことをあきらめた女性は、「愛し愛されることがなくても、私は生きていけるんだ」と思い込もうとする一方で、「でも、外面生活はもう限界。生きる活力を見つけたい。自分の心を必要としてくれる誰かが欲しい。」という、矛盾に満ちていて解決不能と思われるような無理難題を自分に抱え込んでしまいます。
近年、こうした無理難題を抱え込んでしまった女性が行きつきやすい先の1つとして、図(H)に示したような、
「他人への攻撃をすることによって、生きるための活力が湧いてくる」
というものがあります。
他人への攻撃とは、嫌がらせ、妬み、いじめ、脅迫、暴行(否定や批判等の言葉の暴力を含む)などです。例えば、自分は善人だと主張した上で他人を否定や批判によって攻撃する。これは、現代における会社やママ友の集まり、SNSでしばしば起こりがちな現象ですよね。
女性は、こうした他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、言葉の暴力)を、「誰かを傷つけることを生きがいにしよう」という確定的・積極的な意思を持ってしているのではなく、無意識に行います。
よって、実際に他人への攻撃を生きがいにしている女性であっても、「自分はそんなことしていない」と思っており、自覚がありません。
例えば、他人に対し否定や批判をしたことについては、「それは否定や批判ではなく、自分の思っていることを正直に言っただけなのに、何が悪いの?」のような自己中心的な自覚しかできなくなってしまうのです。
このことから、「他人への攻撃」という要素は、女性の心の中において、図(H)に示した通り、「女性自身がその存在を感知しにくいシーソーの板の底側に、板全面を支えるように存在している」というイメージになります。
どうして無意識に他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、否定や批判による言葉の暴力)をしてしまうのか?
それは、「“愛されない”という内心での思いが強くなるほど、“愛して欲しい”という思いが強くなる」という人間心理によるものです。
即ち、女性は、“愛して欲しい”という思いが強くなると、他人との心の関わりを強く求めようとします。この求めが強くなると、「とにかく、私と心で関わってほしい。誰かの心に私の爪痕を残したい。」という攻撃的な飢えた心理状態になり、そのトレードオフとして、「そのように攻撃的に関わられたら、相手がどう思うか?(嫌われるんじゃないか?)」という想像や配慮のプロセスが頭の中から飛んでしまうのです。
もちろん、女性本人には、「自身の心理状態が他人から見て攻撃的な飢えたものなっている」ということを自覚するような精神的余裕はありません。
このように他人への攻撃(嫌がらせや妬み、いじめ、否定や批判による言葉の暴力)が一旦「生きるための活力」になってしまうと、「望む男性から愛されていた過去の自分」に戻りにくくなってしまいます。
なぜなら、他人への攻撃は、相手の同意や承認が不要な行為であり、自らの意思のみで実現可能なものです。よって、「おかしい」ということに自身で気づかない限り、自己の活力として、安定して存在し、消えにくい(自身で気づかない限り、永久に存在し得る)ものだからです。
こうした状態が継続されると、「愛し愛されている状態」に戻ることだけでなく、心の通った人間関係づくりをも実質的に不能にしてしまうほどの凶暴な内面が形成されてしまいます。
おわりに
連載で長々と掲載してきましたが、女性にとって「愛される」ということは、思い通りの幸せな人生を送るために、極めて重要でかつ不可欠なものであることがおわかりいただけたのではないかと思います。
つまり、「愛されない」ということは、無意識のうちに、人に対して真摯な思いやりや優しさを与える心を奪ってしまうのです。
「望みの男性から思い通りに愛される」ということは、Fantasy学部のメインテーマになります。
今後も、貴女が愛されるきっかけをつかめるように、貴女の記憶に残る記事を掲載していきたいと思います。
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タグ:他人への攻撃, 愛されたい~愛されること, 愛されない